夢の中で天使と旅をした子供は、一番最後に羽を持っています。
この羽を持った子供という姿は「遠くをみたい」という寮美千子さんの詩に東逸子さんが絵を書かれた作品の中にも登場してまいります。「翼の時間」と「遠くをみたい」は姉妹のような本に思えてきます。
本はその本を手にとった時から読み手の心を映すものでもあると思います。ですからお母さんに出会うお話という読み方ができるのも素晴らしいと思います。
私は、この世にこうして作品を生み出す方の原点、願いのようなものを感じます。
「なぜかわからないけれど 人の心には 翼がある 心は 光よりも速く 宇宙の果てへと かけていく」
これは、「遠くをみたい」の中の寮美千子さんの言葉ですが、「翼の時間」の中の天使もそのことを告げてくれているように私には思えてきます。天使の姿は東逸子さんそのものの姿ではないでしょうか。
作家が出版当時の雑誌の記事で狩野芳崖の絵からインスピレーションを受けて描いたものであると語っていたことがあります。この作品の数年後に著者に訪れた出来事とだぶるかのような錯覚を起こす読み手もいるかもしれませんが、私はそれを予感したような作品ではないと思います。主人公の姿には読者が男の子とも女の子とも受け取っていい自由な想像の幅があります。深い読み方を想起させる力があることそのものがこの作家の大きな魅力なのかもしれません。
父親に連れられて少女は図書館へと足を踏み入れる。受付で何か手続きを済ませようとする父親は娘に一言、「むこうで待っていなさい」。言葉に従った少女は退屈げに書架を経巡るのだが、そこに双翼の天女が舞い降りて少女を天空の旅にいざなう…。
東逸子の絵は淡く優しく、ミュシャに代表されるアール・ヌーボー風でもあり、クノップフで知られるベルギー象徴派風でもあり、現実から乖離した世界にたゆたうかのような印象を与えます。自分を取り巻く社会の輪郭線がまだ明確には捉えきれない幼い子供の眼に、大きな書架とあまたの書籍がどれほど幻想的に映るものなのか。そのことを描いてみせるにはまたとない画風といえます。
この絵本にはほとんど文字が書かれていないため、天女が何を象徴したものなのかは定かではありません。
書架に収められた数々の物語が与えてくれる冒険や夢を指すのか。それとも、荘厳で静謐な図書館に宿る精霊を意味するのか。
日本画に詳しい人はこの本の半ばあたりに登場する一枚の絵に目を留めるのではないでしょうか。空中に浮かぶ透明な球体の中で少女がやすらかに眠り、雲の上に立つ天女が慈愛に満ちた眼差しでそれを見下ろす。そう、これは狩野芳崖の遺作「悲母観音図」を左右逆にした構図と瓜二つです。芳崖のこの代表作は聖母マリア像の影響を強く受けた観音像だと言われています。ですからそこには子に対する母の深い愛が見られるのです。
東逸子が芳崖の絵をここで応用したのは明らかです。
このことをもとに物語を振り返ってみると、少女は母ではなく父と二人で図書館へやってきたことに改めて思いが至ります。
存在が描かれない母。
母性的慈愛をもつ天女。
逝ってしまった母と少女とのつかの間の再会を描いた美しく切ない物語。そんな風に私には読めるのです。
本書は、父親のお供をして行った図書館で、夢うつつの中、ファンタジックな体験をする少女の物語を描いた
絵本です。文章は、導入部とラストにちょこっと出てくるだけです。なので、小さい子どもと一緒に読んで(読み聞かせたりしながら)愉しむ
絵本ではなく、図書館の空気が好きな大人が見て愉しむ
絵本かなと思います。
書棚にたくさんの本が並んでいる図書館の、荘厳で静かなたたずまい。
本の中に封じ込められた魔法が動き出す瞬間を、天使の翼の羽ばたきが聞こえる「時」として捉え、描かれていく絵のファンタジー。
話の途中、折り込まれて、観音開きのように開けて見る頁があります。深い青の帳が降りた神殿の中の空間が、頁を開けば、ぱあーっと目に飛び込んできます。オルゴールの蓋を開くと、綺麗なメロディーが流れ出すような、そんな気持ちに包まれました。
透明な静けさを湛えた絵の色合いが、とっても素敵です。絵の中に、心がすーっと吸い込まれていくような気がしてきます。少女が眠りから目覚めていく時間を描いた絵を眺めていると、しゅるしゅるしゅるっと音を立てながら下降していく球の秘やかな音さえ聞こえてきそう。水晶玉のような球の上から、天使の羽根がひとひら、ひとひら、ふわりと舞い落ちてきて……。
ショパンのピアノ曲集「夜想曲」の音楽が聞こえてくるような絵本です。